今回は大分県で自転車販売台数1位を続けている「サイクルショップコダマ」を運営する有限会社コダマの児玉社長のお話をお伺いします。

佐藤:私が子どもの頃、夏休みには府内町の親戚の家に滞在していたのですが、当時若竹公園の近くに自転車屋さんがありました。自転車屋のおじさんが自転車を修理したり、組み立てたりするのが面白くて側で見ていたものでした。

児玉:その自転車屋のおじさんが私の父です。

佐藤:創業はお父様ですか?

児玉:創業は祖父です。昭和2年大道に「児玉自転車商会」を設立し自転車の販売を始めました。

佐藤:その頃は自転車が普及していたのでしょうか。

児玉:ある程度は普及していましたが、庶民にとってはまだまだ高価なもので、自転車を購入する予定のお客様に「自転車積み立て」をしていただくこともありました。大切な見込みのお客様ですから、お食事会にご招待したりしていたそうです。

佐藤:私も初めてもらったお給料で母に自転車をプレゼントしましたが、当時、自転車は私の初任給くらいの価格でまだまだ高価なものでしたね。その後自転車がだんだんと庶民の必須アイテムとして普及していくとともに、家業を大きくされたのはお父様である先代の経営手腕によるところが大きいと思いますが、どのような方だったのですか?

児玉:父は7人兄弟の長男でした。祖父から家業を継ぐよう命じられましたが、高校時代は全国トップクラスのテニスの選手で、多くの有名企業から入社のお誘いを受けており、家業を継ぐことに相当の葛藤があったようです。

佐藤:諦めなければならないことが多かったでしょうね。

児玉:父は家業に入りましたが、間もなく独立して府内町に「児玉輪業商会」を設立しました。大分では初めてメーカー直販にし、他の小売と圧倒的な価格の差をつけました。また、自転車を総合スーパーへ卸す「卸売り」も始めました。ただ、卸売りは採算を取るのが難しいとして、数年で撤退しました。「カブ」のようなバイクを販売した時期もありましたが、これも数年で撤退しました。

佐藤:新しいアイディアと実行、そして撤退までの経営判断がスピーディーですね。

児玉:テニスをしている運動神経みたいなものが経営にも生かされていたのかもしれません。昭和46年にトキハインダストリー明野、47年にはトキハインダストリー南大分に自転車業界としては初のインショップ型自転車店を開店しました。その後府内町に新社屋兼ショップも完成して右肩上がりの経営を続けていきました。

佐藤:高度経済成長の時代であったとはいえ、常にチャレンジして同業の中から抜きん出ていかれたのですね。ところで、児玉社長はいつ有限会社コダマに入社されたのですか?

児玉:私は漠然と「いつかは家業を継ぐことになる」とは思っていましたが、大学進学・就職に関して親からは一切干渉がありませんでしたので、自由に進路を選ぶことが出来ました。

佐藤:お父様が家業を継ぐときに苦しい思いをされたので、同じ思いをさせたくなかったのかもしれませんね。

児玉:大学は東京に出て法学部で学びました。就職は「一番自分に似合わない職種を選ぼう」と思い、外資系保険会社の管理部門の事務職に就きました。

佐藤:普通なら家業の自転車のメーカーなどに就職しそうですが、全く関係がない分野に行かれたのですね。

児玉:初めは5年くらいで辞めるつもりでしたが、仕事を覚えて目標も出来たりするとなかなか踏ん切りがつかず、気がつけば15年間その会社でお世話になっていました。

佐藤:実家から帰ってこいとは言われなかったのですか?


佐藤
:「帰ってこい」とは言えないけれど、本当は帰ってきて一緒に事業を支えて欲しいという気持ちが伝わってきますね。児玉:それは一言も言われませんでした。ただ、有限会社コダマが初めての大型ロードサイドショップを森町に出店する時に、当時徳島にいた私のところへ父がやってきたことがありました。店の設計図を私に見せてどう思うか、と聞くのです。どうもこうも私は全く関心もなかったので、「いいんじゃない?」と言うくらいでした。しかし、父が帰っていった後、わざわざ父が徳島まで私を訪ねてきたというのは、もうそろそろ帰って手伝ってほしいと言うことなのかな、と考えました。

児玉:さすがに私もそろそろ潮時だと思いましたが、それまでの仕事に区切りを付けて退職するのに2年ほどかかり、平成10年にコダマに入社しました。

佐藤:入社されてどうでしたか?

児玉:入社してすぐ、父が設計図を持ってきた大型ロードサイドショップ東大分店(現森町バイパス店)の店長としてスタートしました。実はこの少し前に大手資本が羽屋にロードサイドショップを出店していました。これをきっかけにコダマの売上が下がり、危機を感じた父がこの大手資本のショップと全面対決するために出店したのが東大分店だったのです。

佐藤:コダマの勝負をかけた店舗を任されたわけですね。

児玉:目標は大手資本を大分から撤退させること、として徹底的に対策をしました。これまでも修理車の回収・お届けを無料でするというアフターサービスがコダマの売りでしたから、そういう差別化や、同じ自転車なら1円でもこちらが安くする、という価格の競争もしました。そういう努力の甲斐があって、その大手資本は大分から撤退しました。

佐藤:大手資本を相手に、撤退させるとはすごいですね。先代の社長から教育や指導はどうでしたか?

児玉:私もこの仕事に慣れてきて、私なりの考えを先代に相談すると大抵反対されました。親子なのでどうしてもそうなるのでしょうね。ある日、パルコから「エスカーレーターサイドで催事をしてほしい」という電話が入ったのですが、母が「今うちは一番忙しい時期だから」と素っ気なく断っていました。何気なくそのやりとりを聞いていた私は、「これは商機かもしれない」と思い、パルコの担当者に折り返し電話をしてその催事の仕事を引き受けました。折りたたみ自転車に特化した催事にしたら、数週間で数百万の売上を出すことが出来ました。

佐藤:上手いですね。


児玉
:パルコから正式に出店して欲しいという依頼が来ましたので独断で出店を決めました。が、両親は大反対。従業員に「一切手助けするな」と命じていました。

佐藤:それでも決行したのですね。

児玉:はい。パルコなので「スポーツとファッション」のみに特化した品揃えで「ファンキーファラゴ」という店名で出店しました。

佐藤:「コダマ」の名を使わなかったのは?

児玉:老舗の名前は偉大ですが、若者に発信するのに「コダマ」ではイメージが重くなってしまうというデメリットがあります。また、万が一失敗したときにコダマに迷惑がかからないで済むとも考えました。

佐藤:結果はどうでしたか?

児玉:初めはこっそりメーカーの支店長に手伝ってもらったりして苦労しましたが、お陰様で順調にいきました。その後パルコが閉店しましたので、今は本店の隣のビル1階に移転して継続しています。

佐藤:パルコが撤退したというのは大分でも衝撃的なニュースでしたが、時代の流れとして専門店は郊外のロードサイドに単独の大型店を出すという傾向になっていきましたよね。

児玉:その通りです。コダマは大分東店で初めて郊外のロードサイドに単独出店しましたが、その後トキハインダのインショップだった明野店、南大分店を閉店し、わさだのホワイトロード沿いにも大型店を出店しました。

佐藤:どのような戦略だったのですか?

児玉:自転車の大手資本は羽屋に出店した企業だけではありません。更に大きな資本で全国展開している企業が大分にも入ってくることを想定して、太刀打ち出来る規模の店舗を作って迎え撃とうと考えました。

佐藤:わさだ店は場所もいいし、大型で品揃えも充実していますね。

児玉:わさだ店オープンの日には1日で308台の自転車が売れました。1店舗1日の販売台数としては日本記録です。

佐藤:実際大分に全国展開している自転車大手Aが入ってきました。

児玉:コダマにはあってAにはないもの、またAにはあってコダマにはないもの、を従業員と表にして洗い出しました。コダマが地域に密着していることで、修理出張サービスや大分ならではのお客様のニーズをつかむことが出来る、大手資本にも対抗できると思いました。今までのところ、Aは県内6店舗展開していますが、弊社の売上には大きな影響は出ていません。また、Aは自社で自転車を作っているので、その自転車を卸してもらってコダマで販売しています。


児玉
:うちのメリットとしては、Aで売っている自転車をコダマで買うと修理出張サービスなどのアフターサービスが充実しますよ、というセールスができるということです。また、卸部門とお取引があるので、Aの本社とは友好関係にあります。佐藤:Aの自転車をコダマで販売ですか?

佐藤:大手資本とも対等に渡り合って順調に経営されているのですね。児玉社長が今後力を入れていきたい方向性はありますか?

児玉:20年くらい前から電動自転車とスポーツバイクを2本柱にしていかなくてはと思ってきました。現在、大分の通学用の電動自転車の普及率は全国でトップクラスです。また、坂が多い地形の別府市などでニーズはまだまだ掘り起こせると思っています。

佐藤:スポーツバイクはずっとブームが続いているようですが。

児玉:これまでの「実用」としての自転車から、相応のお金をかけて「嗜好品」として楽しむ人々が増えていることで、スポーツバイクのブームが続いています。コダマは2019年別府に世界最大のスポーツサイクルブランド「GIANT」の商品のみを扱う「ジャイアントストア」を出店しました。この店では「アフターサービス」の概念を大きく変えて、「お客様が自転車を楽しむ」ための仕掛けや情報提供をしています。

佐藤:具体的には?

児玉:サイクルツーリズムを企画してお客様へご案内したり、高級リゾートホテルと提携してレンタサイクルのパッケージプランを設定したり、といった試みをしています。

佐藤:実店舗は品揃え・サービスともに充実しておられると思いますが、インターネット販売についてはいかがですか?

児玉:自転車は配送するには大きくて送料が高くなるし、メンテナンスも必要なのでネット販売とは相性が悪いのです。ところがこのコロナ禍で「非対面販売」というテーマを考えたときに、「大分県内限定の通販サイト」という発想が生まれました。

県内限定なので送料もそんなにかからず、アフターフォローも県内なので問題ありません。

佐藤:ピンチからの見事な発想転換ですね。最後に児玉社長にとって「幸せを生む経営」とは?

児玉:地元大分のお客様に喜んでいただけることを1番に考えて経営しています。

佐藤:これからも大分県民に頼りにされるサイクルショップであり続けてください。

今日はどうもありがとうございました。