今回は大分市長浜町で塾を経営しておられる「リトルアメリカ教育センター」眞上久実塾長(愛称Q先生)にお話しをお伺いします。

佐藤:うちの大学3回生の娘、そして今年大学生になった息子がリトルアメリカで大変お世話になりました。二人ともリトルのお陰で希望する大学に進学することができました。

眞上塾長:大切なお子さんを、リトルを信じて預けて下さってありがとうございました。希望の結果を手にできたのは、お子さんの努力のたまものです。私たちはそのお手伝いをしただけなんですよ。

佐藤:リトルの教育の素晴らしさを身をもって体験していますので、今日のインタビューでそれをお伝えできればと思っています。リトルアメリカ教育センターという塾は、元は中津に出来た塾ですよね。


佐藤
:Q先生とリトルとはどんなご縁だったのですか?眞上塾長:リトルアメリカは中津で佐藤剛先生が開いた塾です。私が高校生の時、私の通う公立高校の大半の生徒がリトルに習っているという、大人気の塾でした。その後大分校を立ち上げることになったとき、縁あって私が大分校を任されることになりました。お陰様で大分校は生徒数が増えていき、現在は小学生から浪人生までを対象に教えています。

眞上塾長:そもそもは私がリトルの生徒だったのです。高校に入ってからの私は成績が急降下していて、何をやってもうまくいかない日々を送っていました。高3になっていよいよ切羽詰まっている私を見て、友達が自分が通っているリトルアメリカに私を連れて行ってくれました。これが私の人生の大きな転機になったのです。

佐藤:リトルアメリカの何がそこまで人生を変えることになったのですか?


眞上塾長
:すっかり自信をなくしていた私に、先生は「人生何度でもやり直せるんだ」と言ってくれました。志望校を聞かれても「・・・成績悪いし・・・まだ決めてないです・・・」と答える私に先生は「志望校は今の自分の成績で決めるのでは
ないんだよ。この大学に行けたらかっこいいよなー、この大学に行くためだったら必死で勉強できるよなー、と思える大学が志望校なんだよ。」とおっしゃいました。そして「すぐに何もかも全部出来なくてもいい、1科目ずつやればいい」と。それで数学が苦手だった私は、数学を勉強しなくても受験できる、一番高い大学を目指そう、と慶応大学を志望校にしました。

それまでは自分の努力不足を棚に上げて、人をうらやんでばかりいましたが、目標が定まったら自分のやるべき事が分かり、勉強に向き合えるようになりました。

佐藤:リトルアメリカに通うようになってすっかり気持ちが切り替わったのですね。そしてリトルアメリカで浪人まで過ごして、慶応に合格できたのですね。

眞上塾長:はい、嬉しかったです。初めて自分は自分でいいんだと思えました。それまでのひがんだ気持ちが消えて素直に自分を肯定できるようになりました。

佐藤:東京の大学に行って大分からは離れましたが、その後リトルとのご縁はどうなったのですか?

眞上塾長:リトルは第2の実家のようなもので、帰省の度に顔を出していました。その頃リトルは大分市にも教室を作ったので、私は長期休暇になると大分校に入ってお手伝いをするようになりました。

佐藤:ますますリトルとの繋がりが深まって、「教える側」になっていったのですね。

眞上塾長:私はリトルアメリカに出会えたことで人生を前向きに生きられるようになったので、私と同じように勉強に躓いて悩み苦しんでいる子達を変えてあげたい、という強い思いがありました。


佐藤
:東京で就職活動はしなかったのですか?


眞上塾長
:はい。長期休暇の度に大分校に泊まり込んで先生をしていたので、ある意味私にとってはそれを職業とすることは自然な選択でした。生徒もなついてくれて、私に出会ってから勉強に必死になる子もいて、自分はこの仕事に向いているのかも、と思えました。どんな会社に就職しても、どうしても私でなければだめだ、ということはありません。ですが、リトルだったら私でなくてはだめだと言ってもらえる場所があると思い、帰ってきました。

大学を卒業後、私が大分校を任されることになりました。

初めは生徒が10人で、教室は私の住んでいるアパートでした。同じ部屋に生徒がいる中で食事をするので、私だけ食べるのも心苦しくて、生徒の分まで食事を作ってみんなで食べていました。今でもその時の習慣が残っていて、毎週土曜日は「Q食の日」です。ただ、コロナ禍のため、現在はお休みしていますが。


眞上塾長
:3年ほどして少し生徒数が増えて、私の部屋と教室を別に出来た時は泣くほど嬉しかったです。キャパシティがいっぱいになると、更に部屋を借りて拡げていきましたが、生徒の自転車が増えてご近所からの苦情が出るようになりました。家賃もかさむので、自転車が置けて、教室もたっぷり取れて、住めるところを探したら、希望にぴったりの今のビルが見つかりましたので、思い切って購入しました。佐藤:プライベートがなくて、なかなか大変な生活だったのですね。

佐藤:初めはご苦労がありましたが、今、生徒数は何人くらいになられたのですか?

眞上塾長:今はお陰様で150人くらいになりました。ですが、毎年3月には合格した生徒が辞めていくので、この時期は生徒数がガクッと少なくなってしまいます。

佐藤:これまでどうやって生徒を集めてこられたのですか?

眞上塾長:小さな塾ですから、大々的に広告宣伝出来るわけでもありません。情熱を傾けて、生徒のことを真剣に考えて共に受験を戦った結果、希望の学校に合格していった生徒や保護者の方が口コミで紹介して下さることが大きいと思います。


佐藤
:うちもそうですが、子どもがリトルで指導を受けてから、ぐんぐんと能力を引き出されて伸びていく姿を見ていますから、自然と知り合いに口コミしてしまうんですよね。具体的にリトルは他の塾とここが違う!というと、どんなことがありますか?

眞上塾長:まず、「最高の教材」で勉強すると言うことです。リトルアメリカでは、20年前から「生徒たちが覚えやすい教材とは」を追求し続けて、教材を作り出版してきました。そして、時代に合わせて「更に更に、覚えやすく」するためのアイデアを盛り込んで改訂を重ね改良を続けていっています。
佐藤:うちの子もこの単語帳を使っていました。語呂合わせなどの工夫があって覚えやすいと言っていました。二人とも大学での勉強にも使えるからと、旅立ちの荷物の中にこの単語帳を入れていきました。

眞上塾長:「最高の教材」を使って「効率の良い勉強法」を指導し、偏差値15UPを叶えます。20年以上、受験生とともに受験を戦ってきた経験を新しい受験生に注ぎ込みます。

佐藤:紙面の都合で、このインタビューでは詳しく伝えられませんが、リトルの「教育」に対する本気の思いはホームページやブログ「リトルアメリカ日記」、公式Facebookをみればよく分かりますので、読者の皆さんは是非「リトルアメリカ教育センター」を検索していただきたいと思います。ところで、ずっとQ先生の隣に座って下さっている「まーけん先生こと眞上晋先生」のことをご紹介いただけますか?

眞上塾長:まーけん先生は縁あって私の夫なのですが、早稲田大学、大学院で学び、建設会社で1級建築士として働いていました。彼はバリバリの理系なので、今はリトルで理系科目を教える貴重な人材です。まーけん先生もリトルの生徒でしたのでリトルの教育方針を共有して一緒にやってきました。

佐藤:「動」のQ先生と「静」のまーけん先生でいい組み合わせですね。リトルアメリカではお二人で教えておられるのですか?

眞上塾長:いえ、リトルアメリカには中津校もありますし、6人の先生が行ったり来たりしながら教えています。

佐藤:塾の規模の大きさでその善し悪しが決まるわけではありませんが、世間的には「どこの大学に何名合格したか」という実績で評価されがちですよね。そのことについて思うことはありますか?

眞上塾長:大手の塾と違い、リトルにやってくる子は、ほとんどが「困っている」子で元々成績のよい子は少ないのです。偏差値40の子が1年でものすごく頑張って例えば青山学院大学に合格すれば、本当にすごいことなのです。ですから、「合格した大学名」のことではなくて、苦しみ悩んでいた子ど も達が、努力して必死で 勉強に向き合い勝ち取った「合格」という結果こそ、本当に評価されるべきだと思います。

佐藤:Q先生は昨年「必ず報われる勉強法」を出版されました。

どんな思いで本を書かれたのですか?

眞上塾長:勉強もスポーツと同じで、訓練すれば出来るようになります。成績が伸びず「私はダメだ」と諦めてしまうのはもったいないです。効率の良い勉強法で本気で頑張れば、希望の結果を手に入れることが出来るということを、今躓いて悩んでいる子たちに伝えたいという思いで書きました。出来れば、この本を持ってあちこちで講演してこの勉強法を伝えることで「私なんてダメだ」と思っている子をなくしたいという使命感があります。

佐藤:Q先生が本を出版された直後からコロナ禍になり、今はなかなか講演は難しいかもしれませんが、逆にリモートや動画など、新しい媒体が普及してきています。Q先生の情熱と行動力があればどんな方法でも伝えていくことは出来ると思いますよ。これからもQ先生の元を訪れた子たちが、その可能性を広げて人生を切り開いていけるようになるといいですね。

今日は熱いお話しをありがとうございました。